欠けた季節 1  

     


 夜道に男性の刺殺死体!

   腹部に深い刺し傷
   現場に血まみれの包丁

        鳥絃[とりいと]新灯[しんとう]

 30日午後11時20分ごろ、新灯区
泉3丁目4のパチンコ店「ニュー
・アポロ」横の路上で、倒れた男
の人が血を流して死んでいるのを
通りがかった近所の飲食店店主が
見つけ、110番した。
 新灯署員が駆けつけたところ、
この男性は腹部を深く刺されてお
り、ほぼ即死状態。死後2時間以
内とみられ、死体のそばには刃渡
り21センチの血まみれの包丁が落
ちていた。
 死体の身元は今のところわかっ
ていない。グレーの背広姿で、40
歳代とみられる。
 新灯署では状況などから殺人事
件とみて付近の聞きこみに全力を
あげるとともに、緊急配備をしい
て捜査をつづけている。
 現場横のパチンコ店が休店日だっ
たため、夜間の人通りは少なかった。



     1

 ドアを押して一歩ふみこむと、たちまち音の洪水にのみこまれる。
 パチンコ玉が釘に弾かれ、せわしい音をたてて撥ねまわる。役もののポケットに入ったらしい、電子サウンドがなりひびく。ひとかたまりとなった玉がぶつかりあいながら、騒々しい音とともに受け皿に吐きだされる。コンピューター・ゲームのようなかん高い音も耳を突く。
 裕介は、1年前大学生になって、生まれて初めてパチンコ店に足 をふみいれた。そのときは、店内のやかましさをよくがまんできるものだと、ほかの客たちの感覚をうたがった。
 それが今では平気になってしまっている。それどころか、1日も欠かさず毎日パチンコ店に足がむかってしまう。入学前に想いえがいていたのは、こんな日々ではなかったけれども……。
 冷房は効きすぎているぐらいだが、呼吸は重くるしい。タバコの煙がもうもうとあがり、天井のあたりいっぱいに充ちている。
 パチンコ台は、店の入口から奥へと続く。ラインとなった客は皆、真剣に盤面をにらんでいる。通路は両がわから突きでる客たちの背で狭まり、凸凹とまがりくねっている。裕介は背と背のすきまをぬって、空いている席をさがす。左右に目をくばりながら歩いていると、前方からの光がさえぎられ、裕介の顔に薄い陰がかかった。
 正面を見あげ、足がすくんだ。目の前に巨体が立ちふさがっていた。黒いスラックスにエンジのポロ・シャツ。新顔の店員らしい。ゴリラなみの胸の筋肉に、シャツが張りさけそうだ。裕介より頭ひとつも背が高く、横幅は倍ぐらいある。髪にパンチ・パーマをあて、目は細く切れあがっていた。
 兇暴さを感じて、裕介は体がこわばった。怖がっている気配を察してか、店員は薄い唇のはしをわずかにゆがませる。彼にとっては 精いっぱいの笑みなのだろうが、裕介の目には恐ろしく冷たい顔にうつった。30代にも40代にもみえて、年齢はよくわからない。
 店員は鋭い目つきであたりの客をスッといちべつした後、身をかえして裕介に背をむけた。目のまえに、エンジ色の背中が壁となって広がる。隆々たる上半身をささえる脚腰も太く、フロアに沈みそうだ。巨大な後ろ姿は、静かに奥へと戻っていった。
〈関わりはもちたくないタイプだ〉
 裕介はほっと息をついた。すぐそばに空いている椅子を見つけ、 腰をおろした。
 玉貸機に百円硬貨を2枚いれ、受け皿に玉を落とした。
 電動式のハンドルをつかみ、右にまわす。半円をえがくレールに そってパチンコ玉が走り、助走の勢いにのって左上から飛びだす。 加速がつきすぎ、天の釘にかすりもせずに右がわに流れていく。あわてて手の力をゆるめたが、うまく調節できない。またたく間に空 打ちになった。
 ジーンズの前ポケットから百円硬貨をとりだす。また、200円で玉を買った。
 今度はわりあいに玉が中央にあつまったが、やはり一度も入らずに終わった。
〈何秒もっただろう〉
 小さなためいきをついた。
 となりを見ると、裕介と同い年ぐらいの女の子が大箱に2杯もだしている。
〈じょうずだなぁ〉
 裕介が感心していると、視界にエンジ色の山が割りこんできた。 さっきの店員が険しい顔つきで近づいてくる。となりの女の子と背なかあわせに、男の客がすわっている。その中年男の真後ろで、店員は仁王立ちになった。男はパチンコに夢中で、背後に気がまわら ない。店員は重そうな太い腕を、客の肩にのせた。
 ピクリ、と背すじをただすように中年客の体が慄えた。
「ちょっと、来てもらえますか」
 低音のおちついた口調が、よけいに凄みをます。
 座っていた男の横顔が凍りつき、血のけが退いていく。パチンコ台をみつめたまま、身動きひとつしない。
「つッ!」
 悲鳴をあげ、立ちあがった。というより、後ろから右肩をわしづかみにされて、吊り下げられていた。痛みのためか、顔は引きつっている。
 店員は右手であやつり人形のように中年客をぶらさげたまま、左手を男の胸にまわし、背広のなかをさぐる。
「困るんですわ、お客さん。こんなマネされたらねェ」
 背広からだした手には、まるめた新聞紙があった。新聞をにぎった手をゆるめると、なかから何かがストンと落ちた。金属音がして、 フロアにころがった黒い棒は、運動会でつかうバトンほどの大きさがある。
「磁石だ」
 だれかが言った。男のさきほどの悲鳴で、まわりの客たちの目もあつまっていた。
 店員は右手首のスナップだけで、コマのように男の体をまわし、 正面をむかせた。太い腕一本で胸ぐらをしめあげる。男の細い首が折れたようにのけぞる。
「アホんだら!」
 大声がほかの音をけちらした。驚いた裕介のかかとも跳ねあがった。
「ナメたまねをしくさるな!」
 怒鳴られる男の顔は蒼白で、これ以上開けられないとおもうぐらい恐怖に目を見ひらいている。いまにも泣きだしそうなくらい怯えている。わななく唇からこきざみに「す、すみません、すみません」 とかすれた声がもれてくる。慄える声は、祈りのようにくり返される。
 店員は片手のままで、中年男を入口のほうへ引きずっていく。
 ほかの客たちが後をついていく。裕介もつづいた。
 店員は入り口の前まで来ると、一瞬の動作で、すばやく右膝を胸にひきつけ、ジャックナイフが飛び出すように足を飛ばし、男の尻を蹴った。バットでタイヤをなぐりつけたような大きな音が破裂した。男は全身で正面からドアに激突し、勢いでドアがおし開かれ、 一瞬にして店の外にころがり出ていた。
〈――空手!?〉
 ウムをいわせぬ迫力に、裕介は息をのんだ。
 蹴りだされた男は、道に這いつくばっていた。激痛に耐えている のだろうか、倒れ伏したままこぶしを握りしめ、両肘で胸をしぼりあげている。
 店員の広くてぶ厚い背なかが動き、ふりむいた。
「皆さま、おさわがせいたしました。どうぞ、ひきつづき、ゲーム をお楽しみください」
 なにごともなかったかのように言い、頭をさげた。
 店員は堂々と、そして速やかに店の奥へと巨体をはこんでいった。
 店の外を見ると、放りだされた男が脚をぐらつかせ、両手をつい てなんとか立ちあがっていた。足もとがおぼつかず、よろめきながら逃げていく。
「あれですんで、よかったわねェ」
 主婦らしい女性客の声がした。
「さあ、打ち止めするぞォー」
 ハチマキをしめ、よく陽焼けした男がさけんだ。
《F1のテーマ》がかかり、店内に明るいリズムが弾む。
 皆がパチンコ台にもどっていき、ふたたび盤面と対する。
 しかし裕介は、うまく気もちを切り替えられない。
 すこしためらったがドアを押し、パチンコ店《ニュー・アポロ》 をでた。
 熱い外気が肌をなでる。もう一度店のなかに戻りたくなる暑さだ。
 左右を見まわし、男をさがした。自分でも、あり余るひまをもてあます人間だからできる、気まぐれかもしれないとおもう。
 男は、《ニュー・アポロ》から離れたせまい路地の日陰で、隠れるようにうずくまっていた。
 裕介は後ろから、そっと声をかける。
「……だいじょうぶ、ですか?」
 男の背なかがこわばり、おそるおそる首をまわして振りかえった。 目に力がない。頬は肉をえぐられたように、こけていた。50歳ぐらいだろうか。
「ケガはないですか?」
 男は裕介の顔をみとめると、警戒をゆるめる。
「……たいしたことないよ」
 言葉とはうらはらに、かなりの痛みをこらえているようだった。 片膝を地面につけて、蹴られた尻を浮かしている。手もかたく握りしめられている。顔は蒼ざめ、ひたいに汗がにじみだしていた。
 裕介は横にならんでしゃがみ、肩をさしだす。
「どうぞ」
 男は裕介の顔をさぐるように見る。
「病院へいったほうがいいとおもいます」
 男はうなずいて、倒れるように裕介にすがりついた。やはり、ひとりでは歩けないようだ。
「めいわく……かけるねぇ」
「いえ」
 男に肩をかし、重い荷をかつぐように裕介はあるきだした。男は振動が身にこたえるのか、小さなうめきをくりかえしている。裕介はできるだけ揺すらないように、気をつかって歩をすすめる。
 いちばん近くのちいさな医院へつれていった。
 ところが、玄関の扉は押しても引いてもうごかない。看板の診察時間は[午前中9時〜12時・午後5時〜8時]となっていた。腕時計をみると、1時37分。診察時間外だった。
 片手で男をささえながら、インターフォンをおした。
「すみません、ケガ人なんです」
「診察は5時からです」
 ちいさなスピーカーから、女性が感情のない声で投げかえしてき た。
「ケガで大変なんです。診てもらえませんか」
 しなだれかかってくる男の体重をうけて、肩が痛くなってきた。
「救急病院へいってください」
「お願いします」
 なおも頼みこむが、撥ねつけられた。押し問答がつづく。あせりとあきらめが同時につのってくる。
「いま開けます」
 突然インターフォンに、医者らしい男性の声が入った。
 救いを待つように扉と向き合っていると、10秒もたたないうちに鍵がかたい音をたててはずれた。古い木製の扉が外がわに開かれ、 女性が疲れた顔で立っていた。
 いままで黙ってあぶら汗をながしていた男が、苦しそうに「すみません」と声をしぼりだす。
 彼のことばに女性は反応せず、開けた扉を固定すると「どうぞ」 といって背を向け、さっさと奥へひっこんだ。
 男をかかえて玄関に入る。裕介は腕で男を支えながら腰をかがめ、 空いている片手で男の靴を脱がした。痛むらしく、うなり声をあげ ている。
 医者が白衣のボタンをとめながら姿をみせる。歩みよりながら、 声をかけてくる。「腰?」
 裕介が「はい」とこたえると、医者は手をかしてくれた。二人で男を両わきからささえ、小さな待合室をとおって診察室へ運んだ。
 診療台にうつぶせに寝かせると、裕介は「外で待ってます」といって部屋をでた。
 待合室のソファに、ほっと腰をおとした。Tシャツが汗で濡れていた。Tシャツの短い袖で、ひたいをぬぐった。
 二人がけの黒いソファはくすみ、ところどころカバーがはがれて中のスポンジが見えている。ソファのとなりには、背もたれのない長いすが壁にそっておかれていた。待合室は細長く、狭い。詰めても、せいぜい7〜8人ぐらいしか座れないだろう。
 しばらくして、機械の低い音がうなりだした。エアコンの電源を入れてくれたらしい。古い大型のクーラーがさわがしい音をたて、 風を吹きだしはじめた。
 ソファにゆったり身をしずめていると、全身の筋肉がゆるんでいき、気もちもやわらいでくる。
〈あの人は、どうしてインチキなんかしたんだろう?〉
 パチンコで不正に儲けようとする者がいるのは知っているが、実際に見たのは初めてだ。そんな悪人には見えなかった。
〈背広をきていたから、会社員かな?〉
 考えは長くはつづかない。立ちあがって、長いすのまえのマガジ ン・ラックに手をのばした。何度も読まれて表紙がめくりあがり、 ページがふくれあがった雑誌ばかりだ。1冊を手にとり、腰をソファにもどした。
 その写真週刊誌は、以前に読んだことがあった。表紙の女性アイ ドルに覚えがある。写真集でヌードになって、大きな話題になったときだ。2カ月前か3カ月前か、それとも半年前……いや、もっと前だったろうか?
 ぼんやりとページをめくる。待つのは苦にならない。いまの自分には時間は無限にある、ありすぎる。なにもすることがないよりは、 ただ待っているだけでも、こころの虚しさをうめられる……。
 ときたま見出しをひろう以外は、写真だけをながめていった。最後のページまでいくと、また表紙からめくっていく。ほかの週刊誌と取りかえるのもめんどうだった。
 5度か6度くりかえしたあと、診察室のドアが開き、裕介は週刊誌をよこにおいて立ちあがった。
 まず背広の男でてきた。顔に血色がもどっていた。つづいて白衣の医者がでてきて、口をひらく。
「骨に異常はなかった」
 さりげない言いかたが、裕介の気ぶんを軽くさせた。
「自転車から落ちたんだって?」
 医者は、裕介の目に視線を止めた。
(真実をいわないでくれ)
 男は哀願するような目を裕介に向けてくる。
 裕介は医者と目をあわさずに、うなずく。
 医者はすこし沈黙を挟んだが、男に視線を移した。 「強い打撲だ。1、2週間は痛むだろう。かなりきつく落ちたようだな。打ったところが尻でない、肉のうすい部分だったら、骨折していたかもしれない。尾骨をはずれていたのもさいわいした。もうすこし上かあるいはそのまま下にずれていたら、背骨か脚の骨をや られているところだ」
〈あの店員、大ケガにならない程度に痛めつけたんだ。冷静に暴力を振るえるなんて――〉
「しっぷ薬をだすから、ちょっと待ってて」
「ありがとうございました」
 男は礼をいった。裕介も頭をさげた。
 医者が消えてから、裕介は男に訊いた。
「痛みます?」
「いや、痛み止めを射ってもらったんで、だいぶん、ましだよ」
 男はてれくさそうに頭をかいた。
 男は財布から、折りたたんだ保険証をだし、数枚の千円札と小銭で診療代を払った。
〈どうして、あんなことをしたんだろう? 悪い人には見えないのに〉
 肩をならべ、パチンコ店《ニュー・アポロ》と反対の方向へ歩いた。
 大通りにでてから、男は細木と名のり、名刺をさしだした。
〔大救生命保険相互会社
      保全担当 細木正一〕
〈生命保険?〉
「あらためて、お礼にうかがうよ」
「礼などけっこうです」とことわったが、「ぜひ連絡先を」とかさねて訊いてきたので、電話番号を教えた。細木は書きとめると、両手でだいじな秘密をかくすようにメモ帳をたたみ、ていねいに胸の内ポケットにしまった。
 それから細木は「だいじょうぶだから電車で帰る」と、裕介にもう一度礼を言い、駅の改札口へ入っていった。



   欠けた季節 1