欠けた季節 11  

     


     11

 翌日は《ニュー・アポロ》の話で持ちきりだった。
《ガーデン・ハウス》にくる客は、だれもが昨夜の事件を口にした。裕介のしらない事実がつぎつぎと語られる。
 パチンコ店《ニュー・アポロ》には、巨漢の店員がいた。細木を蹴りだした男だ。じつは彼は店員ではなく、あの店のオーナーだったのだ。
 40歳をとうに過ぎたようにみえたオーナーは、じつはまだ30歳をすぎたばかりだという。さまざまな修羅場をくぐりぬけてきて、年齢以上の貫禄を身につけていた。《ニュー・アポロ》以外にも2つ、計3つのパチンコ店を30代で手に入れていた。身をけずる努力にくわえ、危ない橋もわたってきたらしい。
 3店目となる《ニュー・アポロ》を、地元のヤクザが『買いとりたい』といってきた。買いとりたいといえば聞こえはいいが、実際は店をのっ取ろうとしたらしい。
 新灯区をなわばりのひとつにする《金石組》は、《ニュー・アポロ》のオーナーの弱みを見つけ、そこにつけ込み、脅しにかかった。『5000万円で店をあけ渡せ』という。店・設備、そして土地を加えると、店の価値は10億円をはるかに超える。
『ワシらはのォ、悪さは見のがせんタチでのォ。その店、[はよ]う前のヤツに返したれや。ワシらがあいだに入ってやるよって、ひとまずワシらに売ったれや』
 ハイエナの群れは、3つのパチンコ店を統括する事務所に、連日のように押しかける。やって来ても、すぐには事務所に入ってこない。わざと表を歩きまわり、大声をあげる。
『ここかいなァ、順番に店をのっとってまわる汚ねェ男のおるところわ』
『おお、そうやで、兄貴。こんなとこで働いているやつァ、しまいに保険金かけられて、殺されるんちゃうか』
『そういやァ、あの社長さん、平気で人殺ししそうな顔しとんのォ』
 すくなくとも2人、多いときには7〜8人でやってきて、路上で、
『おまえに店を盗られたおひとは、首つって死ぬいうてはるぞ』
『店、返したれや』
『ドロボウ!』
『人殺し!』
 などと怒鳴りちらす。
《金石組》の連中は、オーナーの弱みを知りつくしている。過去をさぐられたくないオーナーは、警察には通報しない。
『話があるなら、なかに入ってくれ』
 ハイエナたちは事務所に入ってくるとソファにふかぶかと腰をしずめ、足をテーブルになげだす。『仕事の話をしにきたんや』と、延々4時間も5時間もいすわりつづける。ときには1日じゅう腰をあげない日もあった。
 3人の女性事務員をからかいつづける。
『ねえちゃんの仕事は何や? 毎日、社長さんのチンポしゃぶりかい』
『1発いくらや? 100円か? そしたら1万円はらうよって、みんな呼んできて、思う存分まわしたろかい』
 オーナーの愛人をのぞく2人がすぐに辞めた。後を募っても、入ってくる女性はみな1日でこなくなる。
 オーナーは何度か怒りを爆発させそうになった。立ちあがり、にらみつける。おもわず胸ぐらをつかんでいたときもある。と、相手は待ってましたとばかりに挑発を強める。
 いまの段階では警察ざたにしたくない。オーナーはなんとか自分をおさえる。先にしびれをきらしたほうが、負けなのだ。
 無視していると、やがてハイエナたちは出ていく。やっと帰ったかとほっと息をつくと、数分後、缶ビールを手にもどってくる。
『よう働くと、喉がかわいてアカンのォ』
 事務所のなかで飲みほす。
 また、出ていく。
 こちらの、このまま帰ってほしいとねがう気もちを逆につき、時間をおいて缶ビールを手にもどってくる。くりかえしだ。
 神経戦だった。
 店や事務所、自宅にまでかかるイヤガラセ電話は1日じゅう鳴りつづけ、真夜中も安眠をゆるさない。
 しかし、《金石組》の執拗な攻勢にもオーナーは屈せず、要求を撥ねつけていた。
《金石組》の恐喝は、ますますエスカレートしていく。
『うちの若いもんは、正義感がつようてな。ワシら上のもんはやめとけ言うてるんやが、店が心配やのォ。アイツら、なにをしよるかわからんからのォ』
《ニュー・アポロ》からも、へんな連中が店のまわりをうろついていると連絡を受けている。万一にそなえ、オーナーは2カ月まえから店に店員として顔をだすようになった。
 オーナーは地獄を何度もくぐりぬけてきた。打ちかつ自信はあった。
「警察にはとどけられなかったのかな?」
 裕介は顔なじみの客にきいた。
「おれもくわしくは知らないが、どうしても警察ぬきで決着をつけねばならない事情があったみたいだ」
《金石組》と《ニュー・アポロ》のオーナーとのあいだに、何度かのイザコザがつづいた。
 そして昨夜、ついにまっこうから衝突した。
 昨夜の事件の目撃者がいた。だれなのかはあきらかでないが、目撃談だけは、口づてに広くつたわっていた。
《ニュー・アポロ》の右うしろの自動ドアを出て、ほそい道をへだてた向かいがわに、店の景品交換所がある。
 目撃したその男はぶんちんを金にかえて、なにげなく左のほうを見たらしい。10メートルほど離れた場所に、電柱を押し倒すような大きな黒い山がみえる。閉店まぎわだったから、10時をすぎていた。最初はうす暗くてはっきりしなかったが、闇になれてきて目をうたがった。その山は、とてつもなく大きな人間だった――。
 しかも、その横にもう1人いて、その男は《金石組》の者だと見おぼえがあった。これはひと騒動あるとピーンときた。
 恐ろしくていったんはあわてて家に帰ったが、どうしても気になる。11時まえに、もう1度《ニュー・アポロ》へ足をはこんだ。ちかくの建物の陰に身をかくし、そーっとようすをうかがっていた。
《ニュー・アポロ》は閉店後のかたづけがまだ終わっていないようだ。看板の照明は消されていたが、店内の電灯はあかあかとついていた。もちろん、客はひとりもいない。いつもならパチンコ台をふいている店員も、その夜にかぎってだれもいない。なにかが起こりかけているのがわかる。からっぽの店で、玉をみがく機械の音だけが、ぶきみなうなりをあげている。
 灯りを避けるように、男たちは店の右がわの暗い小道に立っていた。3つの影がみえる。ひとつは、ふつうの人影。向きあっている人影は、ひとまわり大きい。オーナーらしい。さらにオーナーよりふたまわりは大きい山脈が相手の男の後ろにひかえていた。
 オーナーは体重100キロを越える、ヘビー級の体だ。彼がちいさくみえるほどの巨体は、200キロ以上あるとおもわれるスーパー・ヘビーだ。ダンプ・カーと組みあえるような、しんじられないほど巨体だ。しかも張りのある肉体をしている。日本人ではないようだ。
 恐怖だった。いくらあの《ニュー・アポロ》のオーナーが大きくて強いといっても、かなう相手じゃない。恐竜にたち向かうようなものだ。もし闘いになったら、自分の目のまえで人が殺される。うたがいなく信じた。
 しばらく口論がつづいた。じょじょに大きくなる声は、夜の闇にひびきわたる。巨人を背にした相手は、オーナーに店のあけ渡しを強要していた。
[タマ]ァ、惜しィないんかイ?』
 言われたオーナーは、
『テメェに[タマ][]られるようなヘタレやったら、とっくに[]んどるわ』
 すごみかえした。
 殺気が張りつめ、空気がかたい緊張状態にある。
 向きあっていた男がゆっくりとうしろを振りかえり、巨人にあごで合図した。
 山脈がうごいた。前にすすみでて、手がとどく距離でオーナーとむかいあう。
 でかい! おおがらなオーナーをつつみこむほどだ。
 うしろにさがった男がいう。
『詫びいれるんやったら、いまのうちやぞ』
『そのまま、セリフかえしたらァ』
 すごみのあるオーナーの低い声。
『アホが、いっぺん死なな、わからんようやの』
 男は『やれ』と冷たく感情のない命令をだした。
 巨人の大木のような手がのび、つかみかかる。オーナーは飛ぶようなステップ・バックでかわし、さがった勢いを利用して身を沈め、力をためた反動ですばやく相手のボディへ右正拳突きで飛びこんだ――
 ヒット! タイヤの破裂音のような、乾いた音がひびきわたった。全体重をのせた全力のパンチは弾丸ミサイルのように、巨人の腹にくいこんでいた。
 巨体がグラリと、うしろへさがる。
 倒れる。
 思ったのに、山脈は静止した。
 腹をはらい、『ハァ?』とバカにした声をだす。
 体格がちがいすぎるんだ――。
 見ていて、身慄いした。かみあわない歯が、こきざみに音をたてる。
 オーナーの正拳突きは、コンクリート・ブロックも打ちぬく。それを受けてケロッとしているのだから、人間じゃない。ライフルでも持ってこなきゃ、絶対に倒せない。あまりの恐怖に、もらしそうになった。
 いちばん驚いたのは、拳を打ちこんだ本人だ。あのオーナーが、立ちすくんでいた――。ショックをうけて、うごけない。そこへ巨人の平手打ちをもろに顔面にあび、オーナーはおおきく横に張り飛ばされた。ぶかっこうに転げていき、アスファルトに横むきにのびた。すかさず、巨人が腹を蹴りあげる。うめき声とともにオーナーの体が地上から1メートル以上も跳ねあがり、アスファルトに落下し、バウンドした。
 オーナーは苦しそうに、口をあけてせきこむ。腹のおくまで息をおくりこむために、喉をめいっぱい開いたような咳だ。
 巨人は余裕をもち、ゆっくりとオーナーにちかづく。うすら笑いをうかべ、傷ついた獲物を残忍にいたぶろうとする。
 もう、勝負はついている。このままだと、殺されてしまう――。
 突然、パチンコ店のうしろ出口から夕立のような足音がはきだされた。店内で息をひそめてなりゆきを見まもっていたのだろう。数名の店員がかけより、オーナーをかばうように立ちふさがった。
 すこしでも加勢になるんじゃないか、期待した。もう、顔なじみのオーナーの無事を祈るしかなかった。
 店員たちは鉄パイプやゴルフクラブ、チェーンなどの武器を手にしていた。包丁を握っている者もいた。
 巨人のうしろから見ている兄貴ぶんが、たか笑いをあげる。山脈もすこしもひるんでいない。
 超巨体の迫力におされ、店員たちは腰がひけていた。
『どけ』
 言ったのは巨人ではなく、倒れているオーナーだった。
『おまえらがたばになっても、勝てる相手やない』
 まだ苦しそうな声だった。彼は片手で腹をおさえながら、ゆっくりと立ちあがる。足もとがおぼつかず、よろめく。体をささえようと手をだす店員をどなりつけた。
 兄貴ぶんのヤクザが吠える。
『そんなに死にたいんか』
『店は俺の命だ。死んでもわたさん』
 店員たちを退かせ、オーナーはまえにすすみでた。体が揺れている。
 手かげんはしない、これで決めてやるとばかりに、巨人が拳をにぎって指をならした。
 ふたりの間は2メートルあまり。どちらかが大きく1歩とびこめば、とどく距離だ。巨人が右足を1歩まえに運んだ。オーナーはたよりない足どりで1歩さがり、右へまわった。巨人と一定の距離をたもちながら、円をえがくようにまわりつづける。
『逃げまわりやがって、ドブねずみが』
 兄貴ぶんがツバを吐いた。
『さっさとかたづけちまえ!』
 言われた巨人もイライラしていたらしく、両手を突きだし前へ巨体をあずけるように突進した――
 つぶされる!
 瞬間、ふらついていたオーナーが身がまえる。
 ――絶叫! 爆音! 悲鳴!
 もんどりうったのはオーナーではなく、巨人だ。山脈が倒れ、アスファルトに地ひびきをたてた。射とめられた瀕死のクジラのように、巨体をけいれんさせている。喉から奇怪な音をもらし、泡をふく。気を失ったようで、うごかなくなった――。
 時間が停まっている。その場にいただれもが立ちつくしていた。
 もう勝てる。そう思い、無防備につっこんできた巨人の股間に、オーナーが最後の力をふりしぼった大逆転のひと蹴り。起死回生の金的蹴りだった。
 まっさきに動いたのは、兄貴ぶんだ。背をみせ、全力疾走で逃げていく。
 遠くに、パトカーのサイレンがきこえる。
『やった!』
 店員のひとりが叫んだ。
 オーナーは道に膝をおとした。
 店員たちがオーナーにむらがる。
 闇のなかを、サイレンの音が高くなる。パトカーが近づいてくるのが、わかった――。



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