21
裕介は美樹とわかれた後、どうやってマンションに帰ってきたのか、おぼえていない。
気がつくとベッドであお向けになり、天井をながめていた。天井は高くて遠くに見えた。ゆっくりと回っているようにもみえるが、回転しているのは天井なのか自ぶんなのかわからない。自ぶんの確かな存在感がなく、空中に体が浮かびあがり、ただよっているような感じだ。
ふだんは明るさのたりない電灯も、今夜はまぶしい。しかし、灯りを消すのはためらわれる。落ちこんだこころが、さらに深い暗闇に沈んでしまう気がする。
美樹の、くちづけをうけていながら感情のなかった瞳が、裕介の胸にフラッシュ・バックする。
〈こんなはずじゃ、なかった……〉
天井をみつめたまま夜をすごし、朝をむかえた。
失恋すると食事が喉をとおらなくなる、とはよく耳にした。それは実際にではなく、感情をおおげさに表現したにすぎないとおもっていた。しかし今、ほんとうに、食欲などかけらもない――
〈なさけないなぁ、たかがフラレタぐらいで……〉
自ぶんをわらおうとするが、哀しみをごまかす気力もない。
なにも、する気がおこらない……。
ときどき寝がえりをうち、ベッドにひたいをおしあてる。
太陽が真上にのぼるころには、沈んだ気分は体になじんでしまい、意識することもなくなった。
陽光は窓のカーテンにさえぎられている。
生きている実感がなかった。自ぶんの意思を無くしていた。
午後になっても、眠けはやってこない。
なにもしなかった。
なにも考えたくなかった。
食べず眠らずで横になったまま、まる1日がすぎていった。
ふたたび夜を越えていった。
カーテンごしに2度目の朝陽がさす。
いつのまにか、あさい眠りにうつろいでいたらしい。
背なかが締めつけられるように、痛かった。
考えてみると、ベッドのうえに、30時間以上も寝つづけていた。
時の経過が、ショックからすこし裕介を立ちなおらせていた。
まだ気分は萎えているが、すこしは自ぶんを冷静に見ることができる。
目ざまし時計は8時をすぎていた。
ゆっくりと立ちあがる。すこし立ちくらみがした。
おとといの夜に帰ってきたときの、スーツのままだった。
汗で肌がびっしょりと濡れていた。
のんびりと時間をかけて、シャワーを浴びる。熱いシャワーが、こころに刺さったトゲを溶かしてくれるようで、ここちよかった。
ジーンズをはいた。ウエストがゆるくなっていた。
〈なにか、食べなきゃな〉
9時になると《ガーデン・ハウス》へ行った。開店は10時からだが、マスターはいつも1時間くらい前から扉の鍵をあけている。
まる2日ぶりの裕介をみて、マスターは目をまるくする。
「何かあったのかい?」
裕介は頬がこけ、目が落ちこんでいた。
「……ちょっと、ね」
ことばをにごす。まだ、だれにも話したくなかった。たとえマスターでも。他人にかたれるほどまで、気もちの整理がついていない。
言いにくそうにしているので、マスターはそれ以上訊いてこなかった。そのこころづかいが、いまの裕介にはこの上もなくありがたかった。
きのう1日はなにも口にしていない。空腹なはずなのに、食欲がわいてこない。モーニング・サービスのトーストも、ひとくちかじっただけで、あじけない砂をかんでいるような感じがして、皿にのこしてしまった。
マスターは雑炊をつくってくれた。湯気のたつ皿が、カウンターにだされる。裕介は礼をいって、ひと口スプーンですくった。口にいれると、かすかな辛みが舌にしみこみ、唾液がにじみでてくる。のどをとおって胃におちると、ぬくもりが全身にひろがっていく。生きかえるようだった――。
裕介は、スプーンでつぎつぎと口へはこんだ。
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